聖テレジア病院・スープ教室(第一回)

みなさん、こんにちは。
先週末の土曜日から日曜日にかけて、各地で雨や風の被害が伝えられましたが、お変わりありませんでしたか。その土曜の午後、鎌倉・雪の下の教会で医療や介護に携わっている方々向けに、辰巳先生のスープ教室が開かれ、120名以上の方が集まりました(教室の募集は100名だったのですが、希望者が多く定員を20名増やしたとのこと)。


会場には撮影用のライトが灯り、カメラが何台も用意され、教会と言うより、まるでスタジオのような様相。「私がこういうことを出来るのも、いつまでか分からないから…」といわれる辰巳先生に応えて、「天のしずく」の河邑監督やスタッフの方たちが、記録のために駆け付けて下さっていました。


「絶対に必要なものと、季節のものとをお教えするわね」と、スープは玄米スープと、ポタージュ・ボンファム。さらに、一番出汁、その展開と盛り沢山…一見いつものように始まった教室ですが、実はそれまでの間に裏のスタッフはてんてこ舞いの状況に陥っていました。何日も前から準備をし、カセットコンロから鍋、レードルやゴムベラに至るまでを持ち込み準備万端…だったのですが、当日、参加者の試食用に作った玄米スープの味がどうにも出ていないという重大な事態が起きたのです。


いつもと違うのは水ぐらい。もちろん事前に問い合わせはしていたのですが、急遽ミネラルウォーターを買いに走り、予備の玄米を使い再度調理。無事にいつものレベルにこぎつけていたのでした。みなさん、本当にお疲れさまでした。

「いのちについて、正面切って考えなくちゃいけない。その縁(よすが)がスープ作りなのよ」


「なぜ玄米に水を含ませるのか。もし、こんなことが解らなかったら、自分自身を嘆いて欲しい」


「米に慌てさせるように、少し強い火で炒る。そうすると、ふっふっふっふっとなってくる」


「背中に目がついているのが、大人ですよ」

対馬さんが炒る玄米の乾いたサラサラという音が響き、立ち昇った香り広い会場に満ちていました。辰巳先生はいつもように、日々の暮らし方やその姿勢から調理に至るまで、スープ作りにつながっていることを説いてゆきます。しばらくすると、今度は炒った玄米を試食するポリポリという音が、そこかしこから聞こえてきました。この頃、外は雨が本降りになっていました。


玄米スープからボンファム(フランス語で、「よき女性」という意味です)に移ってすぐ、「いい女とはどんな人ですか?」いきなり先生に質問を投げかけられ、しどろもどろになってしまいました。どなたかが「例えば、聡明な女性」と回答してくださったのですが、意味かは分かっていたつもりでも、それが具体的にどのような人なのかという想像を怠っていたことに、恥ずかしさでいっぱいでした。


「言葉に対するセンスが非常に希薄になってしまった。日本の美しい言葉は手放しちゃダメよ。(本などの文章も)丁寧に読んで下さい」という先生の言葉がいつにもまして、グサリ。自分にとって、レシピを追うだけではその味に近付けないことを、改めて認識し直した勉強会になりました。
参加されたみなさんにとっては、どのような会でしたでしょうか。