特別講演会、ご参加ありがとうございました。

みなさん、お寒うございます。
昨日雪は降りませんでしたが、今朝の東京は氷点下になりました。職場では風邪(インフルエンザ?)で休む人がちらほら。みなさんも、体調を崩されないようどうぞお気をつけ下さい。


さて、1月11日は鎌倉で「いのちを整える」と題し、上智大学の竹内修一教授による講演会を開催し、180名を越える方々がご参加下さいました。教室に通われた方以外の方々にも参加いただいての会を開くのは初めてのことで、世話人たちはいろいろと気を揉みましたが、ほっと一息。

辰巳先生は普段から教室で、「スープの湯気の向こう側を見るようにしてください」と言われます。料理を作ることが最終的なゴールではなく、その料理を供する方のこと、生きることやいのちのことなどへ意識を向けることを説かれています。多くのレシピや料理の解説と異なっていて、何か惹かれるものがあるのも、そのようなことが根底にあるからだと思います。ただ同時に、それらを考える”考え方”が簡単なものではありません。今回の特別講演会は、辰巳先生が信頼を寄せられている竹内先生に、そのことを言葉にしていただいて、お話しいただくことが狙いでした。


神学者であり哲学、倫理学を専門とする竹内先生は、当日、聖書の引用をレジメとして用意されていました。聖書と聞くと、何か遠く縁薄いものと思ってしまっていたのですが、それは考え違いでした。何をもってお話しされるかは、その方の”軸や根”になるものです。例えば辰巳先生は”スープを作ることや料理”を通じていろいろなことを話して下さいますが、竹内先生の場合はそれが”聖書”なのです。逆に、自分は何をもって話しができるのだろうか?という焦りというか危機感を感じてしまいました。

聖書とは何かと問われたら、「いのちについて書かれたもの」。これがぼくの答えです。

冒頭で竹内先生はそういわれた後で

属するところが仮に無くても、いのちには誰もが繋がっている。だから『いのちとは何か』という問いに関係のない人はいない。

と話を進めていかれました。




「人として忘れていたものへの”気付き”を与えていただきました」「いのちについて、このように噛み砕いて丁寧に教えていただいたことはありませんでした」「自分が誰かの役に立つという経験が希望を与える、というお話が印象に残っています。帰宅後もう一度考えてみます」…約半数の方が書いて下さったアンケートの中にあった言葉です。


他にも「遺伝子はコピーできても、存在はコピーできない」「幸せを仕合わせと書くと、ひとりではしあわせになれないことに気付く」「誰かを具体的に受け入れることが生きること」いくつもの言葉が耳に残っています。


今までカイロス会は、会員を対象にした活動を行ってきました。いただいたアンケートにもあったのですが、より多くの方々とできる活動も行っていければと思います。具体的に何ができるかを考えるのはこれからですが、なんとか形にできるよう運営メンバーで考えてゆきたいと思います。どうぞ今年もよろしくお願いいたします!