「スープの手ほどき・和の部」、並んでいます。

みなさん、こんにちは。
相変わらずの晴天続きで、乾燥注意報が出たままの東京です。もう一月ぐらい、傘を使った記憶がないような…。


さて、先週水曜日に発売になった「スープの手ほどき・和の部」は、もうご覧になりましたか? 味噌汁、出汁、煎汁、鍋、粥、雑穀や冬瓜などが、173ページにぎゅっと詰まっています。新書版というサイズで手に取りやすく、キッチンにも置きやすいかもしれませんが、文字そのものは決して小さくなく、このあたりは、先生や編集の方が拘られたところではないかと想像します。


この本の特徴は、最近の新しいレシピや、スープ以外のものが載っているなどいくつもあると思います。そして、矢板先生がページをもたれていることも、大きな特徴でしょう。序を辰巳先生が、締めくくりを矢板先生が分担されてもいることから、お二人には共著のような思いがあるのではないかと感じます。冒頭で辰巳先生もこう言われています。

…三十年来、陰になり日向になり、仕事を支えてくださった矢板靖代さんにも表舞台に上がっていただいた。

この本の計八箇所に、矢板先生が担当されたページがあります。その言葉が何といいますか、辰巳先生の言葉とコントラストを成して、飛びこんで来ます。

習慣のない人がだしを引くようになるには、相応の決心がいる……結局、日々の習慣にすることが、わずらわしさから逃れる一番の早道なのかもしれない。
(だしのある贅沢を忘れずに、から)

最近書店に行くと、料理コーナーが以前よりも拡充されているように思います。レシピや様々なジャンルの料理の本が並んでいます。どれもが工夫や発見に満ちています。でもこの本は、その中の一冊になって欲しくないなぁ…と思います。それはこの本が、レシピ集ではなく、その背後に、忙しい、時間がなかなか作れない毎日の中に「ほっ」とできるヒントまで含まれていると思えるからです。

限られた時間という制約から、「何が得られそうか」と「何をするか」は、並列に扱われ、まず何が得られるかを考えることから始めることが多いのではないでしょうか。つまり、そこで納得できそうもないと、「する」までに至らない。ところが、充実感や満足感は、まず身体を動かすことで得られるようになっていく部分があると聞きます。なんだかやる気が起きない時も、単純な作業を始めると勢いがついて動けるようになる、そんな経験ありませんか?最後のページの文章は、まさにそんなことを思いだしました。

この本に書いたのは、本ものの作り方です。でも、型にはめ込むように受け取らないでください、と申し上げたいのです。だしがない時は、こぶのひとひらを浮かせても、水だしでも、作らないよりはずっとましです。まずは作ってみること。それを目標になさってみてください。

手元にあるどの本よりも、手に取る回数が増えそうな予感がしています。


辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部 (文春新書)

辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部 (文春新書)