「美味しいとは何か」に対する、ある答え:佐藤初女さんインタビュー

みなさん、こんにちは。
風邪をひかれたりされていらっしゃらないでしょうか。

相変わらず強い冬型が続いています。日本海側から太平洋側へ、冷たい風が流れ込んできますが、そこに連なる風景は、全くの別世界のようです。自分にとって冬は、こういう風土に暮らしているのだなと、改めて意識しやすい季節でもあります。


さて、今日は本を一冊ご紹介しようと思います。個人的なことなのですが、最近、インタビューや対談、あるいはそれに近い語り口で書かれたものを手にすることが増えました。この本も、そういう一冊です。一人のインタビュワーが、9人の方々にしたインタビューが載っています。そしてそのトップバッターが、森のイスキアを主催されている佐藤初女さんでした。


恥ずかしながら、森のイスキアや佐藤さんことは、名前程度しか知りません。きっと詳しくご存知の方も多いと思います。そんな自分が、このインタビューを読んで手が止まってしまったのは、冒頭で佐藤さんが質問に対して小気味よく応えている次のような文章でした。

質問 「美味しい」って、なんだと思いますか?
佐藤 私の考えは、いたって簡単です。身体が受け取ってるから。「美味しい」っていうのはね、吸収しているからだと思います。

辰巳先生がされているような回答だな、というのが第一印象でした。


インタビューをする側には、相手が普段意識して言葉にしていないような部分まで、自然にひき出せる役割もあるのだと思います。インタビューをする側とされる側が、言葉のやりとりをすることで、互いに何かに気付いたり発見したりすることもあるかもしれない。そういう会話は、刺激的といいますか、頭や心、身体などが、まるで灯がともったように、回り出すような気がします。そしてそれは、読者にとっても魅力的なものだと思います。この西村さんというインタビュワーは、様々な分野の方々に話を聴かれている方なのですが、その話し方から、いつも問いかける言葉を一度自分の中に落としてから発しているように見えます。そのやりとりから生まれる言葉にハッとすることが何度もありました。


家族、同僚、友人などとの日常的なやりとりでも、実はこの"インタビュー"に近い部分が含まれているのではないかと感じます。ただ、相手との距離が近くなることは、互いのことをある程度分かっている…つもりになるのではないか。例え無意識であってもそういう状態だと、刺激や発見は減ってしまうのではないか。そんなことを感じます(…何度も反省してます)。


大自然の中に、心病める人の憩いの場を作りたい”との願いから、岩木山の麓に森のイスキアをつくられた佐藤さんは、「食」についてこうも口にされています。

質問:初女さんの元へ訪ねてくる人たちの、病の原因はなんだと感じていますか?
佐藤:「食」だと思っています。正しい「食」が行われているところに、問題も、病気も出てこないように思う。(中略)何かは食べてるわけ。なにか食べていればその場はしのげるしお腹は満たされる。けど心は満たされていない。だから長い間つづけている間に、生きる問題とか病気とかが、蓄積されて出てくるんです。本当にハッキリしてる。食べ物を顧みない人はね。

これを読んだ時に浮かんだのは、NHKクローズアップ現代で辰巳先生が投げ掛けていたこと。そして、東北や北関東でまだまだ過酷な状況にある方々のことも。日常的な時も、そうでない時も、生きている限り「食べる」は共通です。普段、少しは考えているように思えても、それは"日常"を前提とした範囲なのかもしれない…そんなことを考えて、背筋が少しひんやり。。。ふ、ふぇっくしょんっ。あ、みなさんもどうぞ引き続き風邪にはご注意下さ〜い。



わたしのはたらき

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