発酵の力は、生きる手がかり。(クロワッサン誌4月10日号)

みなさん、こんにちは。

東京は冷え込んでいますが、昨日、今日と良い天気が続いています。。。あれから二週間が経ってしまいました。いまだに大勢の方が、厳しい環境の中で毎日を過ごされています。その一方で、東京をはじめとした首都圏では、空気や水や野菜などに関心が集まっています。
こんな中で、自分にできることは何だろうと問うても、すっと腑に落ちるような応えは返ってくるかといえば、なかなか難しい。でも、3月11日以前と同じ暮らし方はもう出来ないのだろうなという思いだけは、漠然とではありますが妙に確信めいて消えないのです。譲れないものは何?変えられるところはどこだろう。それだけはせねば、生きにくい状況を自ら抱え込んでしまいそうな危機感があります。


クロワッサン 2011年 4/10号 [雑誌]

クロワッサン 2011年 4/10号 [雑誌]

 3月25日発売のクロワッサン誌は、久し振りに辰巳先生が表紙に登場です。特集は、「発酵食のすすめ」。大豆を中心に、米や麦やお茶など様々な微生物の力を借りた食材が身の周りにある日本。西洋も、パン・チーズ・ワイン、どれも発酵食品です。人類にとって昔から身近な存在だったことは間違いありません。先生の巻頭言から、少し抜き書きしてご紹介します。

発酵食品は、海に囲まれた島国の 高温多湿を生きてゆきやすく生きるため、ほとんど自然発生的に勘考し、仕上がった骨肉の一種、生きてゆく上での仲間といえます。
あって当たり前のゆえに、粗略にしても失わぬと勘違いしているところはないか、反省。「もの」に見放されるのは、「人」に見放されるよりおそろしい。取り返しのつかぬこともあります。"いのち"を守るのは、自分以外にありません。

(13ページから)


糠漬けや味噌漬けはもちろん、甘酒やホエー(乳清)なども登場します。しかも、それがフレンチトーストなどに変わって!相変わらず、柔軟な発想と行動には恐れ入ってしまいます。具体的な内容、ぜひご一読下さい。



この号には、その飾らぬ人柄と行動力に何人もの方が惹きつけられてしまった多田自然農場の多田さんも、ご家族や料理、農場のスナップとともに登場しています。しかし、かの地は岩手県遠野です。地震の被害は…と気になるところですが、多田さんは同誌に次のようなメッセージを寄せられていました

このたびの東北関東大地震において、多くのご心配をいただき、ありがとうございます。
私のところから30分車で走ったところは釜石、50分走ったところは陸前高田、全て壊滅です。友人、知人とも連絡とれず、行くこともできない状態です。

私のところは大地震後、いつもの風景に戻りました。しかし11日夜から10分間隔で余震があり、今は30分間隔できています。
私のところは1年間の食糧備蓄と電気、ガス、水道はいつも通りで、どこよりも早く復旧し、午前中お年寄りの方々や食に不安のある方に牛乳や食べ物、自社商品を無料で提供しはじめました。

問題はこれからです。沿岸地域全て地獄です。道路が津波にのみこまれた残骸で封鎖されています。市民は食料を求めて漂流を始めています。
行政はまったく機能していません。どこかで機能しているのでしょうが、頼ることができるのは自分の判断と常日頃から養っている人とのネットワークです。
仙台空港の近くに私の商品の物流基地があるのですが、ここは大津波にのまれたようです(確認の方法がないので、YouTubeで見ているところです) 。 今すぐやるべきことは、首都圏からの大動脈である東北自動車道の安全を確認して、食料、油、生活物資を運ぶこと。今困っている人々に食を提供し、冷え込みから守ること。ここ数日、車で夜を過ごす人が多くなっています。

大変な状況は、やはり他所と変わりないようです。多田さんは、ご自分でブログをかかれています。現在の状況、活動についてもこちらから知ることができます。



さて、スープ教室に通われている方は、大粒のプリップリの牡蛎のことを覚えていらっしゃるかもしれません。あの牡蛎は、気仙沼市唐桑のものです。ご存知の方も多いと思いますが、源流域に広葉樹を植えて海を護ろうという「森は海の恋人」運動が始まったところです。この運動を推進されてきた畠山重篤さんも、津波で被害を受けられ、肉親の方や家を失われたそうです。しかし、河北新報に「海は必ずよみがえる 再起の誓い」という記事をみつけました。


この他にも先生や教室に関わりの深い生産者や関係者の方々をはじめ、被害に遭われた方々がおひとりでも多くお元気でありますよう。




追記:前回、前々回と錯綜する情報の中からポイントになりそうなものを自分なりに選び、ご紹介してきました。今回からは、基本的にそれまでのスタイルに内容を戻しました。。。ところが、一つだけご紹介したいブログに出会ってしまいました。これは、3月18日から23日まで、陸前高田市に医療スタッフの一員として向かわれた若い看護士の方が綴られた現地からの言葉です。最後にぜひ、こちらもお読みいただければと思います。


追記2:河北新報の畠山さんの記事が新聞社のサイトから消されていました(なんで日本の新聞社は記事を消すんでしょうねぇ)。その代わりに畠山さんご本人がかかれた記事がありましたので、そちらをご紹介します。