頼りにしている農家の方たちの一言

みなさん、こんにちは。
寒いながらも、梅の花が咲いている東京です。時折、続けてくしゃみが出ます。そろそろ…来ているのでしょうか?


さて、偶然にも新年最初の月に、「天のしずく」にも登場されたお二人の生産者から、消費者である私たちへの呼びかけが届きました。
お一人は、「大豆百粒運動を支える会」の会報に掲載されていた、青森の福士さん。米を中心に、大豆なども作られ、「地下かんがい方式」に取り組まれている先駆者でもあります。
もうひと方は、千葉の富谷さん。スープ教室でも頼りにしている人参や小松菜をはじめ、様々な野菜を長年有機栽培されているグループをまとめられています。こちらは、毎月2回とっている「さんぶ野菜ネットワーク」の野菜セットに入っているお便りに書かれていたものです。


みなさんは、現在米の価格が下落していること、米農家がこれではやっていけない状況になっていることはご存知だと思います。富谷さんの文章には、具体的な価格も含めて次のようにありました。

千葉県の米価は1俵(60kg)9000円前後となりました。10a(300坪)あたりおおよそ8〜10俵の収穫です。1年に1作しかできません。みなさんは、この数字をどのように思われますか?

正直、驚きました。そこまでとは思っていなかったからです。そういう報道も、あまり目にしていなかったいうに思います(TVや新聞は様々な制約の中でニュースを扱っているので、受け取り手である自分が探しにいかなくてはダメな状況なのでしょう)。
野菜や加工品で、「輸入物はちょっと…」と思われている方でも、米は国産だからと考えているかもしれません。でも、自分が今、米を生産している立場だったらどうしているだろうと考えると、遅かれ早かれ国産米は激減するだろうことが想像されます。


田んぼの風景をイメージで訴求するだけでは、残念ながらこの状況を変えられる気はしません。しかし、経済(だけ)がことの良し悪しを判断する基準として、必ずしも適切とは言えないことも、また明らかなことに思えます。経済は、その変動をコントロールできない要因が多いもの。例えば世界のどこかで危機的状況が勃発すれば、すぐに様々な国が影響を受けます。また、国が富めば(例えばGDPが増えれば)生活が楽になるかといえば、もうそんな状況ではなくなっていることは、実感されているのではないでしょうか。福士さんは、次のように言われています。

…これから農地の受け手になっていく大規模農家でさえも今回の米価下落によって規模拡大できずにいます。山でも田畑でも、放棄が始まれば循環の中の一つが崩れ、徐々に問題が現れてきます。それを取り戻すためには、また人手と時間とお金が必要になり、結果効率も悪くなります。辰巳先生が提唱され始まったこの大豆百粒運動では、この循環、そしてその循環の中で自給することの意味と、現在この国に住む、そしてこれからも住んでいく私たちの在り方が問われていると思うのです。

当たり前のことは、目につきにくく言葉にしずらく、失って初めて気がつくことが多いもの。誰かのせいにせず、自分で何を選びどう食べてゆくのを考える最後のチャンスなのかもしれないと考える年のはじめになりました。